冬を待つ農家
一時は真っ白い雪に覆われた津軽平野。
その後、気温の緩む日も多く、雪もすっかり解け、一面茶色に覆われる野山。
さらには二日続きの好天に、田んぼの稲などは刈り取った稲から新たに目を出している。
今回はそんな晩秋の一ページから・・・
ここは黒石市郊外の通称「わんの(上野)」。
この季節特有のくすんだ茶色が、春先のようにうっすらと緑色を絡めている。
この記録をUPしないうち時が過ぎ、今日再び雪が降り、辺り一面真っ白となってしまった。
モチーフ探しの散策・記録に止めるためのページ、風景をもじり“風”の散歩道としてつづるBlogです。
一時は真っ白い雪に覆われた津軽平野。
その後、気温の緩む日も多く、雪もすっかり解け、一面茶色に覆われる野山。
さらには二日続きの好天に、田んぼの稲などは刈り取った稲から新たに目を出している。
今回はそんな晩秋の一ページから・・・
ここは黒石市郊外の通称「わんの(上野)」。
この季節特有のくすんだ茶色が、春先のようにうっすらと緑色を絡めている。
この記録をUPしないうち時が過ぎ、今日再び雪が降り、辺り一面真っ白となってしまった。
所要を済ませた道すがら、この時期ならではの菊の鉢植えが目に飛び込んできた!!
普段はすんなり通り過ぎる所なのだろうが、色合いが「今一番」なのだろう、異様に気に掛かるほど冴えていた。
菊鉢の上には、これまた程よい具合に柿が吊るされ、ワンセットで置かれていた。
まさに、この時期ならではの秋の風物詩、「干し柿と菊」物語がそこにあった。
この日の散策は、近くの南中野・もみじ山。
日々のニュースで流れる紅葉情報に、山中をすり抜け(かなり大袈裟!!)散歩がてら覗いた「中野もみじ山」。
何でもここの紅葉群、1800年頃津軽藩主:津軽寧親(つがるやすちか)公が京都より取り寄せた苗木を移植したことによるものだそうで、何とも歴史の有るものだ。
前々から京都からのお取り寄せ情報は聞き覚えはあるのだが、”何時頃、誰が?”などまでは覚えていないのが常。
この様な情報、今はネットでいとも簡単に手に入る時代。
「・・・なるほど!」とは思いながらも、メモらずにいた為すぐ忘れてしまうこの頃、確か徳川11代将軍の頃だったかな~?と思う始末。
そんな今回は、今がピークの「中野もみじ山」。
散策のこの日は3~4日前の事、今はもっと赤みを増している事だろう・・・
この日の散策は青森県の日本海側の散策。
ここは「かそせいか焼き村」、深浦の道の駅の海岸の眺め。
以前にも同じ場所で同じような眺めを描いた事があり調べてみると、その時は多くの家族連れで岩の上を歩いていたが、コロナ禍の今は母子の二人だけ。
子供の着ていた蛍光色の明るい黄緑色はクッキリと存在感を示していた。
広い海の中では、子供が波に飲まれてもその状態・存在が確認できるだろうなと思えた一瞬であった。
奥に見える島(「大島」と言うらしい)。
逆光で見た以前は岩だけと思っていたのだが、今回は上部や斜面には草が生えていた。
以前からだったのだろうか・・・?
(K084 深浦風合瀬イカ焼き村)
(K037 津軽西海岸・風合瀬周辺・・・)
のどかな日々の続く2021年の春。
3月の末頃からこの時期としては気温も高く、田んぼの畔はうっすらと雑草が見え始めている。
今回の散策は、そんなほっこり気分にさせてくれる田んぼの姿。
うっすらと、ほんのわずかな草なのだが、いつの間にか緑色が脳内を染めている。
はっと気を取り直すと、現実は田んぼの茶色が一面を支配している。
今回は、そんな記憶に残る一景。
(こんな一瞬を書き込んでおくと「あ~、あの時か!」と、後々の記憶に蘇る。)